、奥行二間半、表の室の三畳敷は畳があったけれども、裏の方は根太板のままでそれに薄縁《うすべり》が処まばらに敷いてあった。ただその陋屋《ろうおく》に立派な物は、表の格子戸と二階の物置へあがる大|階子《はしご》とであった。その格子戸は葭町《よしちょう》の芸妓屋の払うたものを二|分《ぶ》で買ったもので、階子はある料理屋の古であった。その魯文は、前年旗下の酒井某という者の妾の妹を妻にしていた。魯文のその時分の収入は、引札が作料一枚一朱、切付本五十丁の潤筆料が二分ということになっていた。そして、切付本の作者は魯文ということになっていて収入もかなりあったが、あればあるに従って、散じていたので、家はいつも苦しかった。
 安政二年十月二日の夜は、通り二丁目の糸屋という書肆に頼まれた切付本の草稿がやっとできあがったので、妻はそれを持って往って、例によって二分の潤筆料をもらって来て、一分を地代の滞りに払い、一分で米を買って来て井戸端で磨《と》いでいた。魯文は汚れ蒲団にくるまって本を読んでいたが、突然大地震が起って、彼の家不相応な大階子が壁土と共にその上に落ちて来た。妻はよたよたと走って来て階子を取り除けた
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