中野の方へ行つてまして、ね、……散歩ですか、」
「ひと廻りして来やうと思ひまして、ね、」
「ぢや、さよなら、」

          二

 義直は坂路をおりた。路の左側の高い板塀をした家の門燈が光つてゐた。円い電蓋の傍には青い楓の葉が見えてゐた。義直はその前へ行つたところで、また叔父のことを思ひだした。
(なんか云つて来てゐる、自分が来ないまでも、女中になんか云つて来さしてゐる、)
 義直は自分の頭の上におつかぶさつてゐる物の中から何か見付けやうとでもするやうにした。彼は見るともなしに向ふの崖の上に眼をやつた。崖の上になつた寄宿舎の屋根の上に、彼の塔は低く沈んで祠の所だけを見せてゐた。と、その塔の窓と思はれる所からさつきのやうに青いぎらぎらする光が見えた。
(おや、また光つたぞ、屹と彼の窓で何か悪戯をしてゐると見えるな、)
 黒い小さな動物がその光にでも乗つたやうに、すぐ眼の前でひらひらとした。それは黒い蝶か蝙蝠かと思はれるやうな羽の大きな物であつた。
(蝙蝠かな、)
 山の手の谷合の町には蝶も沢山ゐたが、夜飛ぶのは不思議なやうな気がした。小さな動物の姿は左側に見えてゐる門燈の光の中
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