だ、)
(はい、)
(あの悪党が、わしの家の財産を横領するために、わしを狂人にしやうと思つて、家内に悪い男をくつつけたんだ、家内も可愛さうだ、家内はわしに隠れて悪いことをしてゐる内に、ある晩、やはり男と密会に行く途で、その屋敷へ迷ひ込んで、そのまま出ることが出来ずにゐるんだ、その屋敷は、這入つて行くことは出来ても、一度這入つたなら、どうしても出られない所なんだ、)……
義直の頭には奇怪な養父の言葉と共に、その時の光景が浮んで来た。彼は養家の財産を考へてみた。地所、公債、家作などを一緒にすると十万に近いものがあつた。
(この財産に叔父が眼を注けないこともない、)
もしこれに眼を注けてゐるとしたら自分をどうするであらう、と義直は考へてみた。
「今晩は、」
下からあがつて来た雪駄履きの者が声をかけた。義直は吃驚したが、その声は耳に慣れてゐる声であつた。彼れは擦れ違はうとする相手の顔を見た。それは白い木綿のふはふはした襦袢を着てゐる男で、坂のおり口の右角にある散髪屋の亭主であつた。
「ああ、散髪屋さんですか、」
「今晩は涼しいではございませんか、何所かのお帰りでございますか、」
「ああ、
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