自分も、さうするより他に仕やうがないと思つた。
(畜生、逃がすものか、逃がしてたまるか、この魔物、)
 養父は狂乱してゐた。
(私が掴まへますから、あなたも手を借してくださいまし、)
 乳母はいきなり走つて行つて、狂つてゐる養父の後から抱きすくめるやうに押へつけた。
(何をする、何をする、放せ、邪魔をするな、彼奴は俺の命を取りに来てる奴だぞ、馬鹿、俺の命を取られてかまはないのか、)
 養父は振り放さうともがいたが、病気で体が衰へてゐるので、一生懸命に押へつける乳母の手を振り放すことが出来なかつた。
(若旦那、早く、早く、)
 傍へまで行つてまごまごしてゐた自分は、その声に刺戟せられて、夢中になつて養父の両足を横から抱いた。その養父の口元に血が光つてゐた。
(放せ、何をする、彼奴をそのままにしておいて、俺を殺さすつもりか、)
 殻のやうに痩せた病人の体は、軽軽と離屋の方へと持ち運ばれた。
(放せ、貴様達は俺を殺すつもりか、あの黒い蝶をそのままにしてどうするつもりだ、)…………
 養父はそれから十日ばかりして死んでしまつた。義直はそれを考へて厭な気がした。
 泥溝に架けた石橋を渡ると
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