、名をいってください。何しに来たのです。」
 と追窮《ついきゅう》した。女は静かにいった。
「私は、あなたが風雅な方で、こうして寂しそうにしていらっしゃいますから、今晩お話しのお相手になろうと思ってまいりました。私のまいりました故《わけ》をあまり精《くわ》しく訊かれますと、私もあがることができませんし、あなたもまた私を入れてくださらないでしょうから。」
 金はそこでまたこの女は隣の不身持な女だろうと思いだしたので、自分の品性を汚《けが》されるのを懼れて、
「それは大いに感謝しますが、若い男と女が、夜、同席するということは、世間の手前もありますし、だいいち、あなたにお気の毒ですから。」
 といった。と女は流し目に金を見た。金はそれに魅せられて我を忘れてしまった。婢は金の容子《ようす》をもう見てとった。そこで女に向って、
「霞《か》さま、私はこれから帰りますよ。」
 といった。女はうなずいたが、やがて婢を呵《しか》った。
「帰るなら帰ってもいいわ。雲《うん》だの霞《か》だのってなんです。」
 婢はもういってしまった。女は笑っていった。
「だれも人がいなかったから、とうとうあれを伴《つ》れて
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