し》をつけてあった。そして、その最後の三角の下の文字はオタキと云う文字であった。
「……おたき、おたき……」
 新一はその文字を読みながら、なんだか知ったような名であると思っているうちに、その文字が己《じぶん》の母の名と同じであると云うことが判って来た。
「お母《っか》さんの名だ」
 新一は怪しい獣のことを思いだした。それでは彼《あ》の獣が己の家に来る怪しい獣ではないかと思った。
「犬とは違っていた、たしかに彼奴が狐に違いない」
 新一はそれと知ったなら石でも投げつけて、殺してやるのであったにと思って残念になって来た。新一は帳面を握ったなりにそのあたりを彼方此方と歩いて捜したが、もう影も形も見えなかった。
「よし、吉公の云ったように、鼠取を使ってやろう、姨《おば》さんなんかに黙ってて、一人でそっとやってやれ」
 新一は帳面を懐に隠して何くわぬ顔をして家へ帰って来た。庖厨《かって》口を入ろうとしたところで茶の間の方で人の話声がしているので、何人《たれ》かが来ているだろうかと思ってあがった。父親の新三郎が陽焼けのした顔をして火鉢の傍へ坐って老婆と話していた。
「やあ、お父《とっ》さん」

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