何という不幸な男だろうと思った。彼は両手で額を押えて俯向いた。
入口の扉《と》をことことと叩く者があった。興哥は顔をあげた。
「どなた」
しかし、戸外《そと》では返事をしなかった。興哥は何人《たれ》だろうと思って考えた。と、またことことと扉を叩きだした。
「どなたです」
戸外ではまた返事をしなかった。興哥はがてんがゆかなかった。扉がまたことことと鳴った。
「どなたです、お入りなさい」
戸外では依然として返事をしない。興哥は不思議でたまらないので、起って往って扉を開けた。そこには若い綺麗な女が立っていた。興哥は驚いて眼を瞠った。
「あなたはどなたです」
「わたし、慶よ、さっき、肩輿の中から釵を落したのよ、あなた、あれを拾ってくだすって」
「拾ってあります、すぐ追っ駈けて往って、お渡ししようとしましたが、御門が締りましたから、朝お届けしようと思いまして、持っております」
興哥は卓の傍へ往って釵を取ろうとした。慶娘は引き添うように随いて往って、興哥が釵を持って振り返った時には、二人の体はぴったり並んでいた。
「あなた」
釵を持って興哥の手首に慶娘は白い細そりした両手をかけた。興哥
前へ
次へ
全14ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング