「どなたでございましたか」
 と、云ったがひどく恥かしくて顔のほてるのを覚えた。
「今に判ります、それでは、また近いうちにお眼にかかります」
 と、少年はまたにっと笑って体の向きをかえ、日浦坂の方へ歩いていった。お種はうっとりとなってその後姿を見送りながら、あんなに親しく口を利くからには知っている人にちがいないが、何処で逢った人だろうと考えてみたがどうしても思いだせなかった。ただ、ああして日浦坂の方へ往くところを見ると、積善寺《しゃくぜんじ》の稚児さんであろう、積善寺なら彼処《あすこ》のお薬師様へは、時おり参詣したことがあるからと思った。
 お種は何時の間にか体を真直にしていた。少年の姿はすぐ雑木の陰に隠れてしまったが、お種はうっとりとなってそのまま立っていた。

 お種はその日の夕方、母親といっしょに平生《いつも》のように夕飯の準備《したく》をしたが、その準備ができて家内の者が食事をはじめているのに、裏口の微暗い蚊の声のする処にぽつねんと立っていた。それを見て母親が云った。
「お種はそこで、何をぼんやりしよる、はよう飯を喫《たべ》たらいいじゃないか」
「うウ」
 お種はまだぼんやり
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