い聞かせ」
「へい」
 松蔵は何かに突き当って困ったような顔をしながら石垣を降りて往ったが、其のうちに彼方此方《あっちこっち》から松蔵の傍へ人夫たちが来はじめた。人夫の中には鉄鎚《かなづち》を手にした者もあった。権兵衛と総之丞は黙ってそれを見ていた。
 松蔵の傍へは五十人ばかりの人夫が集まって来て、それが松蔵を囲んで頭を並べた。松蔵の話がはじまったところであった。
 暫くすると其の人夫の中に、不意に口を開けて黄色な歯を見せる者があった。何かを笑っているところであろう。権兵衛は眼を見すえた。見すえる間もなく、人夫は松蔵の傍を離れて散らばって往った。総之丞は権兵衛に呼びかけた。
「話がすんだようでございますが」
「うん」
 権兵衛は人夫の方から眼を放さなかった。総之丞もそれに眼をやった。人夫はまた右側の礁の方へ往って、どっかんどっかんとやりだしたが、釜礁にかかる者はなかった。
「かからんようでございますが、話が判りますまいか」
「判らん、困ったものじゃ」
「愚《おろか》な者どもでございますから、物の道理が判りません」
「うん」
 権兵衛は眼をつむっていた。総之丞は口をつぐんだ。陸《おか》の方から堰堤の上をどんどん駆けて来た者があった。普請役場の小厮《こもの》に使っている武次《たけじ》と云う壮佼《わかいしゅ》であった。
「旦那、一木の旦那」
 武次は呼吸《いき》をはずまして額に汗を浸ませていた。権兵衛は武次を見た。
「何か用か」
「用どころか、お殿様じゃ」
 権兵衛は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。
「なに、おとのさま」
「二十人も三十人も馬に乗って、氏神様のお神行《なばれ》のようじゃ」
「藩公が来られたか」
「はんこうか、鮟鱇《あんこう》か知らんが、高知の城下から来たそうじゃ」
「真箇《ほんと》か。真箇ならお出迎いをせんといかんが」
「早川《はやかわ》さんが、早く往って呼《よ》うで来いと云うたよ、早川さん、歯の脱けた口をばくばくやって、周章《あわ》てちょる」
「くだらん事を云うな」
 権兵衛は叱りつけておいて陸の方へ急いだ。其の時沙と礁の破片《かけら》を運んでいた人足の群も、陸の方に異状を認めたのか、皆陸の方を見い見い口ぐちに何か云っていた。権兵衛は其の人夫の間を潜《くぐ》って陸の方へ往った。
 磯の沙浜には処《ところ》どころ筆草《ふでくさ》が生えていた。其処は緩い傾斜になって夫其の登り詰《づめ》に松林があり普請役場の建物があった。其の役所の向前《むこう》は低い丘になって、其処に律照寺《りっしょうじ》と云う寺があったが、浜の方から其の寺は見えなかった。其の律照寺は四国巡礼二十五番の納経所《ふだしょ》で、室戸岬の丘陵の附根にある最御崎寺《ほずみさきじ》の末寺で、普通には津寺《つでら》の名で呼ばれていた。
 権兵衛は役所の近くまで往った。其処に二疋の馬がいて傍に陣笠を冠った旅装束の武士が二人立ち、それと並んで権兵衛の下僚《したやく》の者が二三人いた。権兵衛は急いで陣笠の武士の傍へ往った。武士の一人は国老《かろう》の孕石小右衛門《はらみいしこえもん》であった。
「これは御家老様でございますか」
「おお、権兵衛か」
「承《うけたま》わりますれば、殿様がお成りあそばされたそうで、さぞお疲れの事と存じます」
「なに、急に御微行《ごびこう》になられる事になって、今朝城下を出発したが、かなりあるぞ」
「二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は」
「東寺《ひがしでら》へずっとお成りになった」
 東寺は最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納経所になり、僧|空海《くうかい》が少壮の時、参禅|修法《すほう》した処であった。
「それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります」
「今日は来いでもええ、明日此処へお成りになる事になっておる」
「さようでございますか、それでは、今日はさし控えておりましょうか」
「それがええ」それから物を嘲《あざけ》るような眼つきをして、港の方へ頤《あご》をやって、「権兵衛、池が掘れかけたようじゃが、彼処《あすこ》へ鯉《こい》を飼うか、鮒《ふな》を飼うか」
 それは無用の港を開設するのを嘲っているようでもあれば、工事の遅延して港にならないのを嘲っているようでもあった。小右衛門は同行の武士を見た。それは大島政平《おおしままさへい》と云うお馬廻《うままわり》であった。
「政平、どうじゃ」
 政平は莞《にっ》とした。
「なるほど」
「それとも、万劫魚《まんごのうお》でも飼うか」権兵衛の方をちらと見て、「今に大雨が降りゃ良え池ができる」
 権兵衛は小右衛門の詞《ことば》の意《いみ》がはっきり判った。権兵衛はじっと考え込んだ。小右衛門と政平の二人は、すぐ馬の傍へ往って馬に乗
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