ににっと笑って花をいじりながら入っていった。それは上元の日に遭った彼の女であった。王はひどく喜んで、すぐ入っていきたいと思ったが、姨《おば》の名も知らなければ往復したこともないので、何といって入っていっていいかその口実《こうじつ》がみつからなかった。そうかといって門内に訊《き》くような人もいないので訊くこともできなかった。王は仕方なしに朝から夕方まで、石に腰をかけたりその辺を歩いたりして、その家に入ってゆく手がかりを探していたので、ひもじいことも忘れていた。その時彼の女が時どき半面をあらわして窺《のぞ》きに来て王がそこにいつもいるのを不審がるようであった。夕方になって一人の老婆が杖にすがって出て来て王にいった。
「どこの若旦那だね。朝から来ていなさるそうだが、何をしておりなさる。ひもじいことはないかね。」
 王は急いで起《た》ってお辞儀して、
「私は親類を見舞おうと思って、来ているのです。」
 といったが、老婆は耳が遠いので聞えなかった。そこで王はまた大きな声でいった。それはやっと聞こえたと見えて、
「親類は何という苗字だね。」
 といったが、王は苗字を知らないので返事ができなかった。老婆は笑っていった。
「苗字を知らずに、どうして親類が見舞われるのだよ。お前さんは書《ほん》ばかり読んでいる人だね。私の家へお出でよ、御飯でもあげよう。汚い寝台もあるから、明日の朝帰って、苗字を聞いてまた来るがいいよ。」
 王はその時空腹を感じて物を喫《く》いたかった。また彼の美しい女の傍《そば》へいくこともできる。王は大喜びで老婆について入っていった。
 門の内は白い石を石だたみにして、紅《あか》い花がその道をさしはさみ、それが入口の階段にちらちらと散っていた。西へ折れ曲ってまた一つの門を潜《くぐ》ると、豆の棚《たな》と花の架《たな》とが庭一ぱいになっていた。老婆は王を案内して家の内へ入った。白く塗った壁が鏡のようにてらてらと光って、窓の外には花の咲き満ちた海棠《かいどう》の枝が垂れていて、それが室の内へもすこしばかり入っていた。室の内は敷物、几《つくえ》、寝台にいたるまで、皆清らかで沢《つや》のある物ばかりであった。
 王が腰をおろすと、窓の外へだれかが来て窺くのがちらちら見える。老婆が、
「小栄、早く御飯をこしらえるのだよ。」
 というと、外から女がかんだかい声で、
「へい。」

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