とやつた。若い綺麗な女中が心持ち赤らんだ顔を此方へ向けてにつと笑つた。それは客と話をして笑つたものであらうが、自分の眼とその眼とがぴつたり合つたやうに思つて、秀夫は極まりがわるいのでちよと牛肉屋の二階の方に眼をやつた。と、彼は五六日前に友達の一人が牡蠣船に行つて、其処の女中から筑前琵琶を聞かされたと言つたことを思ひ出して、俺もこれから行つてみやうかと思つた。しかし彼は一人で料理屋へ行つたことがないので、眼に見えない幕があつてそれが胸先に垂れさがつてゐるやうで、おつくうですぐ行かうと言ふ気にはなれなかつた。
秀夫はその牡蠣船では牡蠣料理以外に西洋料理も出来ると聞いてゐたので、西洋料理の一皿か二皿かを取つてビールを飲んでも好いと思つた。西洋料理を喫つてビールを飲むことなら友達と数回やつてゐるので彼にも自信があつた。それでポチを五十銭も置けば良いだらうと思つた。彼は欄干を離れて下の方へと歩きかけた。牡蠣船のある方の岸は車の立場になつてゐて柳の下へは車を並べその傍に小さな車夫の溜を設けてあつた。車夫小屋と並んで活動写真の客を当て込んで椎の実などを売つている露店などもあつた。秀夫はその前を通つ
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