の車に乗つてゐる令嬢を悪漢が来て掠奪すると言ふやうな面白くもないものであつた。彼は物足りないのでふらふらと出て来たものの他に行く所もないので橋の欄干へ凭れるともなしに凭れたところであつた。
 秀夫はふと自分と机を並べてゐる友達が其処の活動写真で関係したと言ふ女のことを考へ出した。それは自分の下宿の筋向ふの雑貨店の二階から裁縫学校へ通ふてゐる小柄な色の白い女であつた。友達は活動を見てゐる女とどう言ふやうにして近付きになつたのであらうと考へながらその眼を左の方へとやつた。其処は活動写真の前の河縁でその町の名物の一つになつてゐる牡蠣船の明るい灯があつて、二つになつた艫の右側の室の障子が一枚開いて若い綺麗な女中の一人が此方の方へ横顔を見せて銚子を持つてゐたが、客は此方を背にして障子の蔭に体を置いてゐるので盃を持つた右の手先が見えてゐるのみで姿は見えなかつた。牡蠣船の先には又小さな使者屋橋と云ふ橋が薄らと見えてゐた。
 岸の柳がビロードのやうな若葉を吐いたばかりの枝を一つ牡蠣船の方に垂れてゐたが、その萠黄色の若葉に船の灯が映つて情趣を添へてゐた。秀夫はその柳の枝をちらと見た後に又眼を牡蠣船の方へ
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