《いちょう》の樹の下へ埋めた。

 間もなく張士誠は、江浙左丞相達織帖睦邇の許《もと》へ款《かん》を通じて、降服したいといってきたので、達丞相は参政|周伯埼《しゅうはくき》などを平江へやって、これを撫諭《ぶゆ》さし、詔《みことのり》を以って士誠を大尉にした。
 それがために楊参政は殺されて、麾下の軍士は四散した。大都の旅館にいた趙は、故郷へ引返すことに定めて帰ろうとしたところで、嘉興が戦乱の巷になりかけているということを聞いたので、帰ることもできずに家のことを心配していたが、そのうちに士誠が降り楊参政の軍が潰滅した。従って道も通じたので、はじめて舟に乗って帰り、太倉《たいそう》からあがって往った。
 嘉興の城内は、到る処に破壊の痕を止めていた。見覚えのある第宅が無くなっていたり、第宅はあっても住んでいる人が変っていたりした。趙は自分の家のことを心配しながら走るようにして歩いて往った。
 家は依然として立っていたが、入口の扉はとれて生え茂った雑草の中に横たわっており、調度のこわれなどが一面に散らかって、それに埃《ほこり》がうず高くつもっていた。脚下《あしもと》で黒い小さなものがちょろちょ
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