免ぜられていた。趙は進退に窮して旅館へ入り、故郷へ引返そうか、仕官の口を探そうかと思って迷っているうちに、数ヶ月の日子《にっし》が経った。
 一方故郷の方では、旅に出た我が子の身の上を夜も昼も心配していた趙の母親は、その心配からまた病気がちの体を痛めて、病床の人となった。愛卿は人の手を借らずに、自分で薬を煎じ、粥をこしらえて母親に勧め、また神にその平癒を祈った。
「あの子は、どうしたというだろう、何故便りがないだろう」
 母親は愛卿の顔を見るたびに、こんなことをいって聞いた。
「なに、今に何か言ってまいりますよ、それとも官が定ったので、御自分でお迎えにきていらっしゃるかも判りません、御心配なされることはありませんよ」
 愛卿はしかたなしにいつもこんなような返事をして慰めていたが、自分でも母親以上に心配していた。
 そのうちに半年ばかりになったが、母親の病気はひどくなって、もう愛卿の勧める薬を自分の手で飲むことすらできないようになった。愛卿は枕頭《まくらもと》に坐って、死に面している老婆の顔を見て泣いていた。と、麻殻《あさがら》のような痩せた冷たい手がその手にかかった。
「もう私はだめだ
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