親のことも気になれば、愛卿を遺して往くことはなおさら気になるので、躊躇していた。
 愛卿は趙のそうした顔色を見て言った。
「私が聞いておりますのに、男の子の生れた時は、桑の弧《ゆみ》と蓬《よもぎ》の矢をこしらえて、それで天地四方を射ると申します、これは将来、男が身を立て、名を揚げて、父母を顕わすようにと祝福するためであります、恩愛の情にひかれて、功名の期を逸しては、亡くなられたお父様に対しても不孝になります、お母様のお世話は及ばずながら私がいたします、ただ、お母様はお年を召されておりますうえに、御病身でございますから、それだけはお忘れにならないように」
 趙は愛卿に激励せられて、意を決して上京することにした。そこで旅装を調《ととの》え、日を期して出発することになり、中堂に酒を置いて、母親と愛卿の三人で別れの觴《さかずき》をあげた。
 その酒が三まわりした時であった。愛卿は趙に向って言った。
「お母様の御健康をお祝しになっては、いかがでございます」
 趙はいわれるままに觴を母親の前へ捧げた。
 愛卿は立って歌った。それは斉天楽《さいてんがく》の調べに合わせて作った自作の歌であった。
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