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恩情功名を把りて誤らず
離筵《りえん》また金縷《きんる》を歌う
白髪の慈親《じしん》
紅顔の幼婦
君去らば誰あって主たらん
流年|幾許《いくばく》ぞ
況《いわ》んや悶々愁々
風々雨々
鳳《ほう》拆《くだ》け鸞《らん》分《わか》る
未だ知らず何《いず》れの日にか更に相《あい》聚《あつま》らん

君が再三|分付《ぶんぷ》するを蒙り
堂前に向って侍奉《じほう》す
辛苦を辞するを休《や》め
官誥《かんこう》花を蟠《ばん》し
宮袍《きゅうほう》錦《にしき》を製す
妻を封じ母を拝するを待たんことを要す
君|須《すべか》らく聴取すべし
怕《おそ》る日西山に薄《せま》って愁阻を生じ易きことを
早く回程《かいてい》を促して
綵衣《さいい》相対《あいたい》して舞わん
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 歌が終った時ぶんには、皆の眼に涙が光っていた。趙を載せて往く舟は、門の前に纜《ともづな》を解いて待っていた。
 趙は酔に力を借って別れを告げて舟へ乗った。愛卿は趙を送って岸へ出て、離れて往く舟に向って白い小さい手端《てさき》を見せていた。

 趙はやがて大都へ往った。往ってみると尚書は病気で官を免ぜられていた。趙は進退に窮して旅館へ入り、故郷へ引返そうか、仕官の口を探そうかと思って迷っているうちに、数ヶ月の日子《にっし》が経った。
 一方故郷の方では、旅に出た我が子の身の上を夜も昼も心配していた趙の母親は、その心配からまた病気がちの体を痛めて、病床の人となった。愛卿は人の手を借らずに、自分で薬を煎じ、粥をこしらえて母親に勧め、また神にその平癒を祈った。
「あの子は、どうしたというだろう、何故便りがないだろう」
 母親は愛卿の顔を見るたびに、こんなことをいって聞いた。
「なに、今に何か言ってまいりますよ、それとも官が定ったので、御自分でお迎えにきていらっしゃるかも判りません、御心配なされることはありませんよ」
 愛卿はしかたなしにいつもこんなような返事をして慰めていたが、自分でも母親以上に心配していた。
 そのうちに半年ばかりになったが、母親の病気はひどくなって、もう愛卿の勧める薬を自分の手で飲むことすらできないようになった。愛卿は枕頭《まくらもと》に坐って、死に面している老婆の顔を見て泣いていた。と、麻殻《あさがら》のような痩せた冷たい手がその手にかかった。
「もう私はだめだ
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