欹《かたむ》くことを
珮環《はいかん》響く処|飛仙《ひせん》過ぐ
願わくは青鸞《せいらん》一隻を借りて騎《の》らんことを

曲々たる欄干《らんかん》正々たる屏《へい》
六|銖《しゅ》衣《ころも》薄くして来り凭《よ》るに懶《ものう》し
夜更けて風露《ふうろ》涼しきこと如許《いくばく》ぞ
身《み》は在り瑶台《ようだい》の第一層に
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 愛卿の詩を見ると、もう何人《たれ》も筆を持つ者がなかった。
 趙という富豪の才子があって、父親が亡くなったので母親と二人で暮していたが、愛卿の才色を慕うのあまり、聘物《へいもつ》を惜まずに迎えて夫人とした。
 趙家の人となった愛卿は、身のとりまわしから言葉の端に至るまで、注意に注意を払い、気骨の折れる豪家の家事を遺憾《いかん》なしに切りもりしたので、趙は可愛がったうえに非常に重んじて、その一言半句も聞き流しにはしなかった。
 趙の父親の一族で、吏部尚書《りぶしょうしょ》となった者があって、それが大都から一封の書を送ってきたが、それには江南で一官職を授けるから上京せよと言ってあった。功名心の盛んな趙は、すぐ上京したいと思ったが、年取った母親のことも気になれば、愛卿を遺して往くことはなおさら気になるので、躊躇していた。
 愛卿は趙のそうした顔色を見て言った。
「私が聞いておりますのに、男の子の生れた時は、桑の弧《ゆみ》と蓬《よもぎ》の矢をこしらえて、それで天地四方を射ると申します、これは将来、男が身を立て、名を揚げて、父母を顕わすようにと祝福するためであります、恩愛の情にひかれて、功名の期を逸しては、亡くなられたお父様に対しても不孝になります、お母様のお世話は及ばずながら私がいたします、ただ、お母様はお年を召されておりますうえに、御病身でございますから、それだけはお忘れにならないように」
 趙は愛卿に激励せられて、意を決して上京することにした。そこで旅装を調《ととの》え、日を期して出発することになり、中堂に酒を置いて、母親と愛卿の三人で別れの觴《さかずき》をあげた。
 その酒が三まわりした時であった。愛卿は趙に向って言った。
「お母様の御健康をお祝しになっては、いかがでございます」
 趙はいわれるままに觴を母親の前へ捧げた。
 愛卿は立って歌った。それは斉天楽《さいてんがく》の調べに合わせて作った自作の歌であった。
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