つまず》いて往来へ転がり落ちた。由平は刀を下敷にして死んだのであった。
 それから何年か経って、由平の姪《めい》が某《ある》製糸工場の女工になって、寄宿舎に寝ていると、某夜廊下に人の跫音《あしおと》がして障子が開いた。姪は驚いて其の方へ眼をやった。其処には男の姿があった。姪は驚いて咎《とが》めようとしたが声が出なかった。そんなことが三晩続いた。姪は鬼魅《きみ》悪くなって寄宿舎を逃げ出そうと思ったが、ふと其の男を何処《どこ》かで見たことがあるような気がしたので、いろいろと考えているうちに、それは叔父の由平に似ているのだと云うことに気がついた。そこで彼女は早速寺へ往って叔父のためにお経をあげてもらった。すると、其の夜から男の姿が現われないようになった。
 阿芳の自殺した江此間の海岸は、今は海水浴場になって、附近には立派な別荘や旅館などが建っているが、阿芳の投身したと云われる所は、三百坪ばかりの空地になっていて、何人《たれ》もそれに手をつける者がなかった。万一《もし》手をつける者があると阿芳の怨霊に祟《たた》られると云われていた。
 阿芳の怨霊の事は、明治の終り比《ごろ》までは有名であったが
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