取扱つてゐた。そして、慷慨《かうがい》に堪へないやうな顔をして口を噤《つぐ》んだ。太い左の眉がぴりぴり動いてゐた。これは彼にとつては珍らしい事であつた。甲田は何かの拍子で人と争はねばならぬ事が起つても、直ぐ、一心になるのが莫迦臭《ばかくさ》いやうな気がして、笑はなくても可い時に笑つたり、不意に自分の論理を抛出《なげだ》して対手《あひて》を笑はせたりする。滅多に熱心になることがない。そして、十に一つ我知らず熱心になると、太い眉をぴりぴりさせる。福富も何時かしら甲田の調子に呑まれて了つて、真面目な顔をして聞いてゐたが、聞いて了つてから、
『ほんとにさうですねえ。莫迦正直に督促して歩いたりするより、その方が余程|楽《らく》ですものねえ。』と言つた。それから間もなくその月の月末報告を作るべき日が来た。甲田と福富とは帰りに一緒に玄関から出た。甲田は『何《ど》うです、秘伝を遣りましたか?』と訊いた。女教師は擽《くす》ぐられたやうに笑ひ乍ら、
『いいえ。』と言つた。
『何故遣らないんです?』甲田は、当然するべき事をしなかつたのを責めるやうな声を出した。すると福富は、今月の自分の組の歩合は六十二コンマ
前へ
次へ
全27ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング