る。それから郡視學も郡視學である。あの男は、郡視學に取立てられるといふ話のあつた時、毎日手土産を以て郡長の家へ日參したさうである。すると郡長は、君はそんなに郡視學になりたいのかと言つたさうである。それから又、近頃は毎日君のお陰で麥酒は買はずに飮めるが辭令を出して了へば、もう來なくなるだらうから、當分俺が握つて置かうかと思ふと言つたさうである。これは嘘かも知れないが、何しろあんな郡視學に教育の何たるかが解るやうなら、教育なんて實に下らんものである。あの男は、自分が巡回して來た時、生徒が門まで出て來て叩頭《おじぎ》すれば、徳育の盛んな村だと思ひ、帳簿を澤山備へて置けば整理のついた學校だと思ふに違ひない。それから又、教育雜誌を成るべく澤山買つて置いて、あの男が來た時、机の上に列べて見せると、屹度昇給さして呉れる。これは請合である。あんな奴に小言を言はして置くよりは、初めからちやんと歩合を誤魔化して置く方が、どれだけ賢いか知れぬ。――
 甲田は、斯ういふ徹底しない論理を、臆病な若い醫者が初めて鋭利な外科刀《メス》を持つた時のやうな心持で極めて熱心に取り扱つてゐた。そして、慷慨に堪へないやうな顏
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