着た見知らぬ男が、暖炉を取囲《とりま》いて、竹山が何か調子よく話して居た。
野村が其暖炉に近づいた時、見知らぬ男が立つて礼をした。渠も直ぐ礼を返したが、少し周章気味《あわてぎみ》になつてチラリと其男を見た。二十六七の、少し吊つた眼に才気の輝いた、皮膚《はだ》滑らかに苦味走つた顔。
『これは野村新川君です。』と主筆は腰かけた儘で云つた。そして渠の方を向いて、『この方は今日から入社する事になつた田川勇介君です。』
渠は電光の如く主筆の顔を盗視《ぬすみみ》たが、大きな氷の塊にドシリと頭を撃たれた心地。
『ハア然うですか。』と挨拶はしたものゝ、総身の血が何処か一処《ひとところ》に塊《かたま》つて了つた様で、右の手と左の手が交る/″\に一度宛、発作的にビクリと動いた。色を変へた顔を上げる勇気もない。
『アノ人は面白い人でして、得意な論題でも見つかると、屹度先づ給仕を酒買にやるんです。冷酒を呷《あふ》りながら論文を書くなんか、アノ温厚《おとなし》い人格に比して怎やら奇蹟の感があるですな。』と、田川と呼ばれた男が談《かた》り出した。誰の事とも野村には解らぬが、何れ何処かの新聞に居た人の話らしい。
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