居たが、十遍、二十遍と繰返してるうちに、何時しか気も落着いて来て眉が開く。渠は腕組をして、一向《ひたすら》に他の事を思ふまいと、詩の事許りに心を集めて居たが、それでも時々、ピクリピクリと痙攣《ひきつけ》が顔に現れる。
軈《やが》て鉄筆《ペン》を取上げた。幾度か口の中で云つて見て、頭を捻つたり、眉を寄せたりしてから、「人祖この世に罪を得て、」と云ふ句を亜《つ》いで、
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人の子枕す時もなし。
ああ、
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と書いたが、此「ああ」の次が出て来ない。で、渠は思出した様に煙草に火をつけたが、不図次の句が頭脳に浮んだので、口元を歪めて幽かに笑つた。
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ああ、み怒りの雲の色、
審判《さばき》の日こそ忍ばるれ。
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と、手早く書きつけて、鉄筆《ペン》を擱いた。この後は甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》事を書けばよいのか、まだ考へて居ないのだ。で、渠は火鉢に向直つて、頭《かしら》だけ捻つて、書いただけを読返して見る。二三遍全体を読んで見て、今度は目を瞑《つぶ》つ
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