野の真赤にした大きい顔が、霎時《しばし》渠の眼を去らないで、悠然《ゆつたり》とした笑を続けさせて居た。
 それから渠は、種々《いろいろ》と竹山の事も考へて見た。竹山が折角東京へ乗込んで詩集まで出して居ながら、新聞記者などになつて北海道の隅ツこへ流れて来るには、何かしら其処に隠れた事情があるに違ひない。屹度暗い事でもして来たんだらう。然うでなければ、と考へて渠は四年前の竹山について、それかこれかと思出して見たが、一度下宿料を半金だけ入れて、残部《あと》は二三日と云つたのが、遂々《たうたう》十日も延びたので、下宿のアノ主婦が少し心配して居つた外、これぞと云ふ事も思出せなかつた。
 竹山の下宿は社に近くて可い、と思ふ。すると又病院の事が心に浮ぶ。それとなき微笑《ほほゑみ》が口元に湧いて、梅野の活溌なのが喰ひつきたい程可愛く思はれる。梅野は美しい、白い。背は少し低いが……アノ真白《ましろ》な肥つた脛、と思ふと、渠の口元は益々緩んだ。医者の小野山も殆んど憎くない。不図したら彼奴も此頃では、看護婦長に飽きて梅野に目をつけてるのぢやないかとも考へたが、それでも些《ちつ》とも憎くない。梅野は美しいから
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