のだ。が、唯一度、それから二月か三月|以後《のち》の事だが、或日巡査が来て野村の事を詳しく調べて行つたと、下宿の主婦が話して居た事があつた。
其四年間の渠の閲歴は知る由もない。渠自身も常に其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]話をする事を避けて居たが、それでもチヨイチヨイ口に出るもので、四年前の渠が知つてなかつた筈の土地の事が、何かの機会に話頭《わたう》に上る。静岡にも居た事があるらしく、雨の糸の木隠《こがくれ》に白い日に金閣寺を見たといふから、京都にも行つたのであらう。石井孤児院長に逢つた事があると云つて非常に敬服して居たから、岡山へも行つたらしい。取わけ竹山に想像を費さしたのは、横浜の桟橋に毎日行つて居た事があるといふ事と、其処の海員周旋屋の内幕に通暁して居た事であつた。鹿角《かづの》郡の鉱山は尾去沢も小坂もよく知つて居た。釧路へは船で来たんださうで、札幌小樽の事は知らなかつたが、此処で一月半許りも、真砂町の或蕎麦屋の出前持をして居たと云ふ事は、町で大抵の人が知つて居た。無論これは方々に職業《くち》を求めて求め兼ねた末の事であるが、或日曜
前へ
次へ
全80ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング