から駄目なんですツて。』と云ふなり、畳に突伏して転げ歩いて笑つた。
牛込に移つてから二月許り後の事、恰度師走上旬であつたが、野村は小石川の何とか云ふ町の坂の下の家とかを、月十五円の家賃で借りて、「東京心理療院」と云ふ看板を出した。そして催眠術療法の効能を述立《のべた》てた印刷物《すりもの》を二千枚とか市中に撒いたさうな。其後二度許り竹山を訪ねて来たが、一度はモウ節季近い凩《こがらし》の吹き荒れて、灰色の雲が低く軒を掠めて飛ぶ不快な日で、野村は「患者が一人も来ない。」と云つて悄気《しよげ》返つて居た。其日は服装《なり》も見すぼらしかつたし、云ふ事も「清い」とか「美しい」とか云ふ詞《ことば》沢山の、神経質な厭世詩人みたいな事許りであつたが、珍らしくも小半日落着いて話した末、一緒に夕飯を食つて、帰りに些《ち》と許りの借りた金の申訳をして行つた。一番最後に来たのは、年が新らしくなつた四日目か五日目の事で、呂律《ろれつ》の廻らぬ程酔つて居たが、本郷に居ると許りで、詳しく住所を云はなかつた。帰りは雨が降り出したので竹山の傘を借りて行つた限《きり》、それなりに二人は四年の間殆んど思出す事もなかつた
前へ
次へ
全80ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング