た。課長は今日俺の顔を見るとから笑つて居て、何かの話の序《ついで》にアノ事――三四日前に共立病院の看護婦に催眠術を施《か》けた事を揶揄《からか》つた。課長は無論唯若い看護婦に施《か》けたと云ふだけで揶揄つたので、実際又医者や薬剤師や他《ほか》の看護婦の居た前で施《か》けたのだから、何も訝《をか》しい事が無い。無いには無いが、若しアノ時アノ暗示を与へたら怎であつたらう、と思ふと、其梅野といふ看護婦がスツカリ眠つて了つて、横に臥《たふ》れた時、白い職服《きもの》の下から赤いものが喰《は》み出して、其の下から円く肥つた真白い脛の出たのが眼に浮んだ。渠は擽《くす》ぐられる様な気がして、俯《うつむ》いた儘変な笑を浮べて居た。
上島は燐寸を擦つて煙草を吹かし出した。と、渠はまたもや喉から手が出る程喫みたくなつて、『君は何日《いつ》でも煙草を持つてるな。』と云ひ乍ら一本取つた。何故今日はアノ娘が居なかつたらう、と考へる。それは洲崎町のトある角の、渠が何日でも寄る煙草屋の事で、モウ大分借が溜つてるから、すぐ顔を赤くする銀杏返《いちやうがへ》しの娘が店に居れば格別、口喧《くちやかま》しやの老母《ばばあ
前へ
次へ
全80ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング