氣の可い樣な事を書いた。景氣の可い樣な事を書いてやつて安心さしたのに、と思つて四邊《あたり》を見た。竹山は筆の軸で輕く机を敲き乍ら、書きさしの原稿を睨んで居る。不圖したら今日締切後に宣告するかも知れぬ、と云ふ疑ひが電の樣に心を刺した、其顏面には例の痙攣《ひきつけ》が起つてピクピク顫《ふる》へて居た。
内心の斷間なき不安を表はすかの樣に、ピクピク顏の肉を痙攣《ひきつ》けさせて居るのは渠の癖であつた。色のドス黒い、光澤《つや》の消えた顏は、何方かと云へば輪廓の正しい、醜くない方であるけれども、硝子玉の樣にギラギラ惡光りのする大きい眼と、キリリと結ばれたる事のない脣とが、顏全體の調和を破つて、初つて逢つた時は前科者ぢやないかと思つたと主筆の云つた如く、何樣《なにさま》物凄く不氣味に見える。少し前に屈んだ中背の、齡は二十九で、髯は殆ど生えないが、六七本許りも眞黒なのが頤に生えて五分位に延びてる時は、其人相を一層險惡にした。
渠が其地位に對する不安を抱き始めたのは遂此頃の事で、以前郵便局に監督人とかを務めたといふ、主筆と同國生れの長野が、編輯助手として入つた日からであつた。今迄上島と二人で隔
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