して、
『甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]事件と云つて、何、其、外ぢやないんですがねす。』
『ハア。』
『アノ、』と云つたが、此時渠は不意に、自分の考へて居る事は杞憂に過ぎんのぢやないかと云ふ氣がした。が、
『實は其、(と又一寸口を噤《つぐ》んで、)私は今日限り罷めさせられるのぢやないかと思ひますが……』と云つて、妙な笑を口元に漂はしながら竹山の顏を見た。 
 竹山の眼には機敏な觀察力が、瞬く間閃いた。『今日限り? それは又|怎《どう》してです?』
『でも、』と渠は再び目を落した。『でも、モウお決めになつてるんぢやないかと、私は思ひますがねす。』
『僕にはまだ、何の話も無いんですがね。』
『ハア?』と云ふなり、渠は胡散《うさん》臭い目附をしてチラリと對手の顏を見た。白ツばくれてるのだとは直ぐ解つたけれど、また何處かしら、話が無いと云つて貰つたのが有難い樣な氣もする。
 暫らく默つて居たが、『アノ、田川さんといふ人は、今度初めて釧路へ來られたのですかねす?』
『然うです。』と云つて竹山は注意深く渠の顏色を窺つた。
『今迄何處に居た人でせうか?』

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