、主筆が椅子から立ちかけて、
『それぢや田川君、私はこれから一寸社長の宅に行きますから、君も何なら一緒に行つて顏出しして來たら怎《どう》です?』
『ア然《さ》うですか、ぢや何卒|伴《つ》れてつて頂きます。』
と田川も立つた。二人は出て行く。野村も直ぐ後から出て、應接室との間の狹い廊下の、突當りの窓へ行つた。モウ決つてる! 決つてる! 嗚呼俺は今日限りだ。
明日から怎《どう》しよう、何處へ行かう、などと云ふ考へを起す餘裕もない。「今日限り!」と云ふ事だけが頭腦にも胸にも一杯になつて居てて、モウ張裂けさうだ。鵜毛一本で突く程の刺戟にも、忽ち頭蓋骨が眞二つに破れさうだ。
また編輯局に入つた。竹山が唯一人、凝然《ぢつ》と椅子に凭れて新聞を讀んで居る。一分、二分、……五分! 何といふ長い時間だらう。何といふ恐ろしい沈默だらう。渠は腰かけても見た、立つても見た、新聞を取つても見た。火箸で煖爐《ストーブ》の中を掻※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]しても見た。窓際に行つて見た。竹山は凝然《ぢつ》と新聞を讀んで居る。
『竹山さん。』と到頭耐へきれなくなつて渠は云つた。悲し氣な眼で對手
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