はつき》り云つたら可いぢやないか、と自暴糞《やけくそ》な考へを起したが、退社といふ辭が我ながらムカムカしてる胸に冷水を浴せた樣に心に響いた。飢餓と恐怖と困憊と悔恨と……眞暗な洞穴の中を眞黒な衣を着てゾロ/\と行く乞食の群! 野村は眼を瞑つた。
 白く波立つ海の中から、檣が二本出て居る樣が見える。去年の秋、渠が初めて此釧路に來たのは、恰度竹の浦丸といふ汽船が、怎《どう》した錯誤《あやまり》からか港内に碇泊した儘沈沒した時で、二本の檣だけが波の上に現はれて居た。風の寒い濱邊を、飢ゑて疲れて、古袷一枚で彷徨《うろつ》き乍ら、其檣を眺むるともなく眺めて「破船」といふことを考へた。そして、渠は、濡れた巖に突伏して聲を出して泣いた事があつた。……野村は一層堅く目を瞑つた。と、矢張其時の事、子供を伴れた夫婦者の乞食と一緒に、三晩續けて知人岬《しりとさき》の或神社に寢た事を思出した。キイと云ふ子供の夜泣の聲。垢だらけの胸を披《はだ》けて乳をやる母親は、鼻が推潰した樣で、土に染みた髮は異な臭氣を放つて居たが、……噫、淺間しいもんだ那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]
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