檎を剥《む》たり、鯣《するめ》を燒いたりして呉れたが、小野山は院長から呼びに來て出て行くとモ一人の方の看護婦も立つた。渠は遽かに膝を立直して腕組をしたが、※[#「りっしんべん+「夢」の「タ」に代えて「目」」、第4水準2−12−81]乎《ぼうつ》とした頭腦を何かしら頻りに突つく。暫し無言で居た梅野が、「お酌をしませうか。」と云つて白い手を動かした時、野村の頭腦に火の樣な風が起つた。「オヤ、モウ空《から》になつてよ。」と女は瓶を倒した。野村は醉つて居たのである。
少し話したい事があるから、と渠が云つた時、女は「さうですか。」と平氣な態度で立つた。二人は人の居ない診察所に入つた。
煖爐《ストーブ》は冷くなつて居た。うそ寒い冬の黄昏が白い窓掛《カーテン》の外に迫つて居て、モウ薄暗くなりかけた室の中に、種々器械の金具が侘し氣に光つて居る。人氣なき廣間に籠る藥の香に、梅野は先ず身慄ひを感じた。
『梅野さん、僕を、醉つてると思ひますか、醉はないで居ると思ひますか?』と云つて、野村は矢庭に女の腕を握つた。其聲は、恰も地震の間際に聞えるゴウと云ふ地鳴《ぢなり》に似て、低い、澤《つや》のない聲ではあつ
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