居る。新聞の材料は總て自分が供給する樣な話をする。如何なる事件にしろ、記事になるとならぬは唯自分一箇の手加減である樣な話をする。同僚の噂でも出ると、フフンと云つた調子で取合はぬ。渠は今日また頻りに其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》話をして居たが、不圖小宮洋服店の事を思出した。が、渠は怎《どう》したものか、それを胸の中で壓潰して了つて考へぬ樣にした。横山助手は、まだ半分しか出來ぬと云ふ『野菫』と題した新體詩を出して見せた。渠はズッとそれに目を通して、唯「成程」と云つたが、今自分が或非常な長篇の詩を書き始めて居ると云ふ事を話し出した。そして、それが少くとも六ケ月位かかる見込だが、首尾克く脱稿したら是非東京へ行つて出版する。僕の運命の試金石はそれです、と熱心に語つた。梅野は無論其傍に居た。彼女は調劑の方に※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]されて居るので。
 それから渠は小野山といふ醫者の室に伴れて行かれて、正宗とビールを出された。醫者は日本酒を飮まぬといふので、正宗の一本は殆ど野村一人で空にした。梅野とモ一人の看護婦が來て、林
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