て、遠い所は※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]らずに來る癖に。
浮世の戰ひに疲れて、一刻と雖ども安心と云ふ氣持を抱いた事のない野村は、適切《てつきり》長野を入れたのは、自分を退社させる準備だと推諒した。と云ふのは、自分が時々善からぬ事をしてゐるのを、渠自身さへ稀《たま》には思返して淺間しいと思つて居たので。
渠は漸々《やう/\》筆を執上《とりあ》げて、其處此處手帳を飜反《ひつくりか》へして見てから、二三行書き出した。そして又手帳を見て、書いた所を讀返したが、急がしく墨を塗つて、手の中に丸めて机の下に投げた。又書いて又消した。同じ事を三度續けると、何かしら鈍い壓迫が頭腦に起つて來て、四邊《あたり》が明るいのに自分だけ陰氣な所に居る樣な氣がする。これも平日《いつも》の癖で、頭を右左に少し振つて見たが、重くもなければ痛くもない。二三度やつて見ても矢張同じ事だ。が、今にも頭が堪へ難い程重くなつて、ズクズク疼《うづ》き出す樣な氣がして、渠は痛くもならぬ中から顏を顰蹙《しか》めた。そして、下脣を噛み乍らまた書出した。
『支廳長が居つたかえ、野村君?』
と突然《だしぬけ》に主筆の
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