………………』
『船員は、君、皆《みんな》男許りな様だが、あら怎《どう》したもんだらう。』と仰向の男が起き上る。
胡坐の男は沖の汽船から目を離して、躯を少し捻つた。『…………さうさね。海上の生活には女なんか要らんぢやないか。海といふ大きい恋人の胞《はら》の上を、縦横自在に駛《か》け廻るんだからね。』
『海といふ大きい恋人! さうか。』と復《また》仰向になツた。灰色の雲は、動くでもない動かぬでもない。遙かに男の顔を圧して、照る日の光を洩さぬから、午前か午後か、それさへも知る由のない大気の重々しさ。
胡坐の男は、砂の上に投げ出してある紙莨《タバコ》を一本とツて、チヨと燐寸《マツチ》を擦つたが、見えざる風の舌がペロリと舐めて、直ぐ滅《き》えた。復擦つたが復滅えた。三度目には十本許り一緒にして擦る。火が勢よく発した所を手早く紙莨に移して、息深く頬を凹《へこ》ませて吸うた煙を、少しづつ少しづつ鼻から出す。出た煙は、出たと見るまもなく海風に散ツて見えなくなる。
黙つて此様を見て居た忠志君の顔には、胸にある不愉快な思が、自づと現れて来るのか、何様渋い翳《くも》が漲ツて、眉間《みけん》の肉が時々
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