。頭脳に弾機《ばね》の無い者は、足に力の這入《はい》らぬ歩行《あるき》方をする。そして、女といふ女には皆好かれたがる。女の前に出ると、処嫌はず気取ツた身振をする、心は忽ち蕩《とろ》けるが、それで、煙草の煙の吹き方まで可成《なるべく》真面目腐ツてやる。何よりも美味《うま》い物が好《すき》で、色沢《いろつや》がよいものだ。此忠志君も、美味い物を食ふと見えて平たい顔の血色がよい。
蟇の如く胡坐をかいた男は、紙莨《たばこ》の煙をゆるやかに吹いて、静かに海を眺めて居る。凹《くぼ》んだ眼窩《めつぼ》の底に陰翳《くもり》のない眼が光ツて、見るからに男らしい顔立《かほだて》の、年齢《とし》は二十六七でがなあらう。浮いたところの毫《すこし》もない、さればと云ツて、心欝した不安の状《さま》もなく、悠然《ゆつたり》として海の広みに眼を放《や》る態度《こなし》は、雨に曝《さら》され雪に撃たれ、右から左から風に攻められて、磯馴の松の偏曲《ひねくれ》もせず、矗乎《すつく》と生ひ立ツた杉の樹の様に思はれる。海の彼方には津軽の山が浮んで、山の左から汐首の岬まで、灰色の空を被いだ太平洋が、唯一色の強い色を湛へて居る。
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