糧を争ふ十万の市民の、我を忘れた血声の喧囂《さけび》さへ、浪の響に消されてか、敢て此処までは伝はツて来ぬ。――これ然し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる声に呑まれてゆく人の声の果敢《はか》なさを思へば。
 浪打際に三人の男が居る。男共の背後《うしろ》には、腐《あざ》れた象の皮を被ツた様な、傾斜の緩い砂山が、恰《あたか》も「俺が生きて居るか、死んで居るか、誰も知るまい、俺も知らぬ。」と云ふ様に、唯無感覚に横はツて居る。無感覚に投げ出した砂山の足を、浪は白歯をむいて撓まず噛んで居る。幾何《いくら》噛まれても、砂山は痛いとも云はぬ、動きもせぬ。痛いとも云はず、動きもせぬが、浪は矢張根気よく撓まず噛んで懸《かか》る。太初《はじめ》から「生命」を知らぬ砂山と、無窮に醒めて眠らぬ潮騒《しほざゐ》の海との間に、三人の――生れたり死んだりする三人の男が居る。インバネスを着て、薄鼠色の中折を左の手に持ツて、螽《ばつた》の如く蹲《しやが》んで居る男と、大分埃を吸ツた古洋服の釦は皆|脱《はづ》して、蟇《ひき》の如く胡坐《あぐら》をかいた男とは、少し間を隔てて、共に海に向ツて居る。褶《しわ》くちやになツ
前へ 次へ
全33ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング