るでもなければ、もとより貝拾ふ少女子《をとめご》が、素足に絡む赤の裳《も》の艶立《えんだ》つ姿は見る由もない。夜半の満潮に打上げられた海藻の、重く湿ツた死骸《しにがら》が処々に散らばツて、さも力無げに逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1−92−52]《のたく》つて居る許り。
 時は今五月の半ば。五月といへば、此処《ここ》北海の浦々でさへ、日は暖かに、風も柔らいで、降る雨は春の雨、濡れて喜ぶ燕の歌は聞えずとも、梅桃桜ひと時に、花を被《かづ》かぬ枝もなく、家に居る人も、晴衣して花の下《もと》ゆく子も、おしなべて老も若きも、花の香に酔ひ、人の香に酔ひ、酔心地おぼえぬは無いといふ、天が下の楽しい月と相場が定ツて居るのに、さりとは恁《か》うした日もあるものかと、怪まれる許りな此荒磯の寂寞を、寄せては寄する白浪の、魂の台までも揺がしさうな響きのみが、絶間もなく破ツて居る。函館に来て、林なす港の船の檣《ほばしら》を見、店美しい街々の賑ひを見ただけの人は、いかに裏浜とはいひ乍ら、大森浜の人気無さの恁許《かばか》りであらうとは、よも想ふまい。ものの五町とも距たらぬのだが、齷齪《あくせく》と
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