して横を向く。
『尤も、忠志君の遣方《やりかた》の方が理窟に合つてると僕は思ふ。窃盜と云ふものは、由來暗い所で隱密《こつそり》やるべきものなんだからね。アハヽヽヽ。』
『馬鹿な事を。』
『だから僕は思ふ。今の社會は鼠賊の寄合で道徳とかいふものは其鼠賊共が、暗中の隱密《こつそり》主義を保持してゆく爲めの規約だ。鼠賊をして鼠賊以上の行爲なからしめんが爲めには、法律という網がある。滑稽極まるさ、自分で自分を縛る繩を作つて。太陽の光が蝋燭の光の何百何倍あるから、それを仰ぐと人間の眼が痛くなるといふ眞理を發見して、成るべく狹い薄暗い所に許り居ようとする。それで、日進月歩の文明はこれで厶《ござ》いと威張る。歴史とは進化の義なりと歴史家が説く。アハヽヽヽ。
學校といふ學校は、皆鼠賊の養成所で、教育家は、好な酒を飮むにも隱密《こつそり》と飮む。これは僕の實見した話だが、或る女教師は、「可笑《をか》しい事があつても人の前へ出た時は笑つちや不可《いけ》ません。」と生徒に教へて居た。可笑《をか》しい時に笑はなけれあ、腹が減つた時|便所《はゞかり》へ行くんですかつて、僕は後で冷評《ひやか》してやつた。………………尤も、なんだね、宗教家だけは少し違ふ樣だ。佛教の方ぢや、髮なんぞ被《かぶ》らずに、凸凹《でこぼこ》[#「凸凹」は底本では「凹凸」]の瘤頭《こぶあたま》を臆面もなく天日《てんぴ》に曝して居るし、耶蘇の方ぢや、教會の人の澤山集つた所でなけれあ、大きい聲を出して祈祷なんぞしない。これあ然し尤もだよ。喧嘩するにしても、人の澤山居る所でなくちや張合がないからね。アハヽヽ。』
『アハヽヽヽ。』と楠野君は大聲を出して和した。
『處でだ。』と肇さんは起き上つて、右手を延して砂の上の紙莨を取つたが、直ぐまた投げる。『這※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》社會だから、赤裸々な、堂々たる、小兒の心を持つた、聲の太い人間が出て來ると、鼠賊共、大騷ぎだい。そこで其種の聲の太い人間は、鼠賊と一緒になつて、大笊を抱へて夜中に林檎畑に忍ぶことが出來ぬから、勢ひ吾輩の如く、天《あま》が下に家の無い、否、天下を家とする浪人になる。浪人といふと、チョン髷頭やブッサキ羽織を連想して不可《いかん》が、放浪の民だね。世界の平民だね。――名は幾何《いくら》でもつく、地上の遊星といふ事も出來る。道なき道を歩む人とも云へる。コスモポリタンの徒《と》と呼んで見るも可《いゝ》。ハヽヽヽ。』
『そこでだ、若し後藤肇の行動が、後前《あとさき》見ずの亂暴で、其亂暴が生來《うまれつき》で、そして、果して眞に困つちまふものならばだね、忠志君の鼠賊根性は怎《どう》だ。矢張それも生來で、そして、ウー、そして、甚だ困つて了はぬものぢやないか。怎だい。從兄弟君、怒つたのかい。』
『怒つたつて仕樣が無い。』と稍霎時《ややしばらく》してから、忠志君が横向いて云つた。
『「仕樣が無い」とは仕樣が無い。それこそ仕樣が無いぢやないか。』
『だつて、實際。仕樣が無いから喃《なあ》。』
『然し君は大分苦い顏をして居るぜ。一體その顏は不可《いけない》よ。笑ふなら腸まで見える樣に口をあかなくちや不可《いかん》。怒るなら男らしく眞赤になつて怒るさ。そんな顏付は側で見てるさへ氣の毒だ。そら、そら段々|苦《にが》くなツて來る。宛然《まるで》洋盃《コツプ》に一昨日《おとゝひ》注いだビールの樣だ。仕樣のない顏だよ。』
『馬鹿な。君は怎《どう》も、實際仕樣がない。』
『復「仕樣がない」か。アハヽヽヽ。仕樣が無い喃《なあ》』
話が途斷《とぎ》れると、ザザーッといふ浪の音が、急に高くなる。楠野君は、二人の諍《あらそ》ひを聞くでもなく聞かぬでもなく、横になつた儘で、紙莨を吹かし乍ら、浪の穗頭を見渡して居る。鼻から出る煙は、一寸ばかりのところで、チョイと渦《うづ》を卷いて、忽ち海風に散つてゆく、浪は相不變《あひかわらず》、活動寫眞の舞踊《ダンス》の歩調《あしどり》で、重《かさな》り重り沖から寄せて來ては、雪の舌を銀の齒車の樣にグルグルと卷いて、ザザーッと怒《ど》鳴り散らして颯と退《ひ》く、退いた跡には、シーッと音して、潮の氣《け》がえならぬ強い薫を撒く。
二
程經てから、『折角の日曜だツたのに……』と口の中で呟《つぶや》いて、忠志《ただし》君は時計を出して見た。『兎に角僕はお先に失敬します。』と楠野《くすの》君の顏色を覗《うかゞ》ひ乍ら、インバネスの砂を拂つて立つ。
對手は唯『然《さ》うですか。』と謂ツただけで、別に引留めようともせぬので、彼は聊か心を安んじたらしく、曇つて日の見えぬ空を一寸|背身《そりみ》になツて見乍ら、『もう彼是十二時にも近いし、それに今朝|親父《おやぢ》
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