馬車に繋いでゐた。
『何處へ』と問ふ水汲共には『盛岡へ』と答へた。二人は荷馬車に布いた茣蓙の上に、後向になつて行儀よく坐つた。傍には風呂敷包。馬車の上で髮を結つて行くといふので、お八重は別に櫛やら油やら懷中鏡やらの小さい包みを持つて來た。二人共木綿物ではあるが、新しい八丈|擬《まが》ひの縞の袷を着てゐた。
軈て權作は、ピシャリと黒馬《あを》の尻を叩いて、『ハイハイ』と言ひながら、自分も場車に飛乘つた。馬は白い息を吐きながら、南を向けて歩き出した。
二人は、まだ頭腦《あたま》の中が全然《すつかり》覺めきらぬ樣で、呆然《ぼんやり》として、段々後ろに遠ざかる村の方を見てゐたが、道路の兩側はまだ左程古くない松並木、曉の冷さが爽かな松風に流れて、叢の蟲の音は細い。一町許り來た時、村端れの水汲場の前に、白手拭を下げた男の姿が見えた。それは、毎朝其處に顏洗ひに來る藤田であつた。お定は膝の上に握つてゐた新しい※[#「巾+分」、182−上−8]※[#「巾+税のつくり」、182−上−8]《はんけち》を取るより早く、少し伸び上つてそれを振つた。藤田は立止つて凝然《じつ》と此方《こつち》を見てゐる樣だつたが、下げてゐた手拭を上げたと思ふ間に、道路は少し曲つて、並木の松に隱れた。と、お定は今の素振《そぶり》を、お八重が何と見たかと氣がついて、心羞《うらはづ》かしさと落膽《がつかり》した心地でお八重の顏を見ると、其美しい眼には涙が浮んでゐた。それを見ると、お定の眼にも遽かに涙が湧いて來た。
盛岡へ五里を古い新しい松並木、何本あるか數へた人はない。二人が髮を結つて了ふまでに二里過ぎた。あとの三里は權作の無駄口と、二人が稚い時の追憶談《おもひでばなし》。
理髮師《とこや》の源助さんは、四年振で突然村に來て、七日の間到る所に驩待《くわんたい》された。そして七日の間東京の繁華な話を繰返した。村の人達は異樣な印象を享けて一同多少づつ羨望の情を起した。もう四五日も居たなら、お八重お定と同じ志願を起す者が、三人も五人も出たかも知れぬ。源助さんは滿腹の得意を以て、東京見物に來たら必ず自分の家に寄れといふ言葉を人毎に殘して、七日目の午後に此村を辭した。好摩《かうま》のステーションから四十分、盛岡に着くと、約の如く松本といふ宿屋に投じた。
不取敢《とりあへず》湯に入つてると、お八重お定が訪ねて來た。
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