緒にならねえ方が可《え》えす。」と、態々お定に忠告する者もあつた。
お定が其夜枕についてから、一つには今日何にも働かなかつた爲か、怎《どう》しても眠れなくて、三時間許りも物思ひに耽つた。眞黒に煤《すゝ》けた板戸一枚の彼方から、安々と眠つた母の寢息を聞いては、此母、此家を捨てゝ、何として東京などへ行かれようと、すぐ涙が流れる。と、其涙の乾かぬうちに、東京へ行つたら源助さんに書いて貰つて、手紙だけは怠らず寄越す事にしようと考へる。すると、すぐ又三年後の事が頭に浮ぶ。立派な服裝をして、絹張の傘を持つて、金を五十圓も貯めて來たら、兩親だつて喜ばぬ筈がない。嗚呼其時になつたら、お八重さんは甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》に美しく見えるだらうと思ふと、其お八重の、今日目を輝かして熱心に語つた美しい顏が、怎《どう》やら嫉《ねた》ましくもなる。此夜のお定の胸に、最も深く刻まれてるのは、實に其お八重の顏であつた。怎《どう》してお八重一人だけ東京にやられよう!
それからお定は、小學校に宿直してゐた藤田といふ若い教員の事を思出すと、何時《いつ》になく激しく情が動いて、私が之程思つてるのにと思ふと、熱《あつた》かい涙が又しても枕を濡らした。これはお定の片思ひなので、否、實際はまだ思ふといふ程思つてるでもなく、藤田が四月に轉任して來て以來、唯途で逢つて叩頭《おじぎ》するのが嬉しかつた位で、遂十日許り前、朝草刈の歸りに、背負うた千草の中に、桔梗や女郎花が交つてゐたのを、村端《むらはづれ》で散歩してゐた藤田に二三本呉れぬかと言はれた、その時初めて言葉を交《かは》したに過ぎぬ。その翌朝からは、毎朝咲殘りの秋の花を一束宛、別に手に持つて來るけれども、藤田に逢ふ機會がなかつた。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、今の身分ぢや兎ても先生のお細君《かみ》さんなどに成れぬから、矢張三年行つて來るのが第一だとも考へる。
四晩に一度は屹度《きつと》忍《しの》んで寢に來る丑之助――兼大工の弟子で、男振りもよく、年こそまだ二十三だが、若者中で一番幅の利く――の事も、無論考へられた。恁《かゝ》る田舍の習慣で、若い男は、忍んで行く女の數の多いのを誇りにし、娘共も亦、口に出していふ事は無いけれ共、通つて來る男の
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