かつた樣に其葉を垂れてゐた。家々の前の狹い溝《みぞ》には、流れるでもない汚水の上に、薄曇つた泡が數限りなく腐つた泥から湧いてゐて、日に晒された幅廣い道路の礫は足を燒く程暖く、蒸された土の温氣が目も眩む許り胸を催嘔《むかつか》せた。
 村の後ろは廣い草原になつてゐて、草原が盡きれば何十町歩の青田、それは皆近江屋の所有地であつたが、其青田に灌漑する、三間許りの野川が、草原の中を貫いて流れてゐた。野川の岸には、近江屋が年中米を搗かせてゐる水車小屋が立つてゐた。
 春は壺菫に秋は桔梗女郎花、其草原は四季の花に富んでゐるので、私共はよく遊びに行つたものだが、其頃は一面に萱草の花の盛り、殊にも水車小屋の四周《あたり》には澤山咲いてゐた。小屋の中には、直徑二間もありさうな大きい水車が、朝から晩までギウ/\と鈍い音を立てて※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つてゐて、十二本の大杵《おおきね》が斷間《たえま》もなく米を搗《つ》いてゐた。
 私は其日、晒布《さらし》の袖無を着て帶も締めず、黒股引に草履を穿いて、額の汗を腕で拭き拭き、新家の門と筋向になつた或駄菓子屋の店先に立つてゐた。
 と、一町程先の、水車小屋へ曲る路の角から、金次といふ近江屋の若者が、血相變へて駈けて來た。
『何しただ?』と誰やら聲をかけると、
『藤野樣ア水車の心棒に捲かれて、杵に搗かれただ。』と大聲に喚《わめ》いた。私は僞とも眞《ほんと》とも解らず、唯強い電氣にでも打たれた樣に、思はず聲を立てて『やあ』と叫んだ。
 と、其若者の二十間許り後から、身體中眞白に米の粉を浴びた、髯面の骨格の逞ましい、六尺許りの米搗男が、何やら小脇に抱へ込んで、これも疾風の如くに駈けて來た。見るとそれは藤野さんではないか!
 其男が新家の門まで來て、中に入らうとすると、先に知らせに來た若者と、肌脱ぎした儘の新家の旦那とが飛んで出て來て、『醫者へ、醫者へ。』と叫んだ。男は些《ちよ》と足淀《あしよどみ》して、直ぐまた私の立つてゐる前を醫者の方へ駈け出した。其何秒の間に、藤野さんの變つた態《さま》が、よく私の目に映つた。男は、宛然《まるで》鷲が黄鳥《うぐひす》でも攫《つかま》へた樣に、小さい藤野さんを小脇に抱へ込んでゐたが、美しい顏がグタリと前に垂れて、後には膝から下、雪の樣に白い脚が二本、力もなくブラ/\してゐた。其左の脚の、膝
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