+施のつくり」、第3水準1−92−52]《のたく》つてゐた。ちらとそれを見乍ら智惠子は室に入つて、『マア臥床《おとこ》まで延べて下すつて、濟まなかつたわ、小母《をば》さん。』
『何の、先生。』と笑顏を見せて、『面白う御座んしたでせう?』
『え……。』と少し曖昧に濁して、『私疲れちやつたわ。』と邪氣《あどけ》なく言ひ乍ら、袴も脱がずに坐る。
『誰方が一番お上手でした?』
『皆樣お上手よ。私なんか今迄餘り歌留多も取つた事がないもんですから、敗けて許り。』と莞爾《につこり》する。ほつれた髮が頬に亂れてる所爲か、其顏が常よりも艶に見えた。
 成程智惠子は遊戯などに心を打込む樣な性格でないと思つたので、お利代は感心した樣に、『然うでせうねえ!』と大きい眼をパチ/\する。
 それから二人は、一時間前に漸々《やう/\》寢入つたといふ老女の話などをしてゐたが、お利代は立つて行つて、今日凾館から來たといふ手紙を持つて來た。そして、
『先生、怎うしたものでせうねえ?』と愁はし氣な、極り惡氣な顏をして話し出した。其手紙はお利代の先夫からである。以前にも一度來た。返事を出さなかつたので又來た。梅といふ子が生れた翌年不圖行方知れずになつてからもう九年になる。其長い間の詫を細々書いて、そして、自分は今凾館の或商會の支店を預る位の身分になつたから、是非共過去の自分の罪を許して、一家を擧げて凾館に來てくれと言つて來たのである。そして、自分の家出の後に二度目の夫のあつた事、それが死んだ事も聞知つてゐる。生れた新坊は矢張り自分の子と思つて育てたいと優しくも言葉を添へた。――
 身を入れて其話を聞いてゐた智惠子は、愼《つゝま》しいお利代の口振りの底に、此悲しい女の心は今猶その先夫の梅次郎を慕つてゐる事を知つた。そして無理もないと思つた。
 無理もないと思ひつゝも、智惠子の心には思ひもかけぬ怪しき陰翳《かげ》がさした。智惠子は心から此哀れなる寡婦に同情してゐた。そして自己に出來るだけの補助をする――人を救ふといふことは樂しい事だ。今迄お利代を救ふものは自己一人であつた。然し今は然うでない!
 誰しも恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》場合に感ずる一種の不滿を、智惠子も感ぜずに居れなかつた。が、すぐにそれを打消した。
『で御座いますからね。』お利代は言葉をついだ。『まあ何方《どつち》にした所で、祖母さんの病氣を癒すのが一番で御座いますがね。……何と返事したものかと思ひまして。』
『然うね。』と云つて、智惠子は睫毛の長い眼を瞬《しばたゝ》いてゐたが、『忝《かたじけ》ないわ、私なんかに御相談して下すつて。……あの小母さん、兎も角今のお家の事情を詳しく然《さ》う言つて上げた方が可かなくつて? 被行《いらつしや》る方が可いと、まあ私だけは思ふわ。だけど怎《ど》うせ今直ぐとはいかないんですから。』
『然うで御座いますねえ。』とお利代は俯向いて言つた。實は自分も然う思つてゐたので。

      一〇

『然うなすつた方が可いわ、小母さん。』と智惠子は俯向いたお利代の胸の邊を昵《ぢつ》と瞶《みつ》めた。
『然うで御座いますねえ。』と同じ事を繰返して、稍あつてお利代は思ひ餘つた樣な顏をあげたが、『怎うせ行くとしましても、それやまあ祖母さんが何《ど》うにか、あの快癒《なほ》つてからの事で御座いますから、何時の事だか解りませんけれども、何だかあの、生れ村を離れて北海道あたりまで行つて、此先|何《ど》うなることかと思ふと……。』
『それやね、決めるまでにはまあ、間違ひはないでせうけれど、先方の事も詳しく何して見てから……』
『其處《そこ》ンところはあの、確乎《たしか》だらうと思ひますですが……今日もあの、手紙の中に十圓だけ入れて寄越して呉れましたから……。』
『おや然うでしたか。』と言つたが、智惠子はそれに就いての自分の感想を成るべく顏に現さぬ樣に努めて、
『兎も角お返事はお上げなすつた方が可いわ。矢張り梅ちやんや新坊さんの爲には……。』と、智惠子はお利代の思つてゐる樣な事を理を分けて説いてみた。説いてるうちに、何か恁う、自分が今善事をしてると云つた樣な氣持がして來た。
『然うで御座いますねえ。』と、お利代は大きい眼を屡叩《しばたゝ》き乍ら、未だ瞭《はつき》りと自分の心を言出しかねる樣で、『恁うして先生のお世話を頂いてると、私はもう何日までも此儘で居た方が幾ら樂しいか知れませんけれども。』
『私だつて然う思うわ、小母さん、眞箇《ほんと》に……。』と言ひかけたが、何かしら不圖胸の中に頭を擡《もた》げた思想があつて言葉は途斷《とぎ》れた。『神樣の思召よ。人間の勝手にはならないんですわね。』
『先生にしたところで、』と、お利代は智惠子の顏をマヂマヂと瞶《みつ》め乍ら、『怎うせ、御結婚なさらなけれやなりませんでせうし……。』
『ホヽヽヽ。』と智惠子は輕く笑つて、『小母さん、私まだ考へても見た事が無くつてよ。自分の結婚なんか。』
 話題はそれで逸《そ》れた。程なくしてお利代が出てゆくと、智惠子はやをら立つて袴を脱いで、丁寧にそれを疊んでゐたが、何時か其の手が鈍つた。そして再び机の前に坐ると、昵《ぢつ》と洋燈の火を瞶めて、時々氣が附いた樣に長い睫毛を屡叩《しばた》いてゐた。隣室では新坊が眼を覺まして何かむづかつてゐたが、智惠子にはそれも聞えぬらしかつた。
 智惠子の心は平生になく混亂《こんがらが》つてゐた。お利代一家のことも考へてみた。お利代の悲しき運命、――それを怎うやら恁うやら切拔けて來た心根を思ふと、實に同情に堪へない、今は加藤醫院になつてる家、あの家が以前お利代の育つた家、――四年前にそれが人手に渡つた。其昔、町でも一二の濱野屋の女主人として、十幾人の下女下男を使つた祖母が、癒る望みもない老の病に、彼樣《あゝ》して寢てゐる心は怎うであらう! 人間の一生の悲痛が時あつて智惠子の心を脅かす。……然し、此悲しきお利代の一家にも、思懸けぬ幸福が湧いて來た! 智惠子は神の御心に委ねた身乍らに、獨《ひとり》ぼツちの寂しさを感ぜぬ譯にいかなかつた。
 行末怎うなるのか! といふ眞摯な考への横合から、富江の躁《はしや》いだ笑聲が響く。つと、信吾の生白い顏が頭に浮ぶ、――智惠子は嚴肅な顏をして、屹と自分を譴《たしな》める樣に唇を噛んだ。『男は淺猿《あさま》しいものだ!』と心で言つて見た。青森にゐる兄の事が思出されたので。――嫂の言葉に返事もせず、竈の下を焚きつけ乍らも聖書を讀んだ頃が思出された。亡母《はゝ》の事が思出された。東京にゐる頃が思出された。
 遂に、あの頃のお友達は今|怎《ど》うなつたらうと思ふと、今の我身の果敢なく寂しく頼りなく張合のない、孤獨の状態を、白地《あからさま》に見せつけられた樣な氣がして、智惠子は無性に泣きたくなつた。矢庭に兩手を胸の上に組んで、長く/\祈つた。長く/\祈つた。……
 侘《わび》しき山里の夜は更けて、隣家の馬のゴト/\と羽目板を蹴る音のみが聞えた。

   其五

      一

 何日しか七月も下旬になつた。
 かの歌留多會の翌日信吾は初めて智惠子の宿を訪ねたのであつた。其時は、イプセンの飜譯一二册に、『イプセン解説』と題して信吾自身が書いた、五六頁許りの評論の載つてゐる雜誌を態々持つて行つて貸して、智惠子からはルナンの耶蘇傳の飜譯を借りた。それを手初めに信吾は五六度も智惠子を訪ねた。
 信吾は智惠子に對して殊更に尊敬の態度を採《と》つた。時としては、もう幾年もの親しい友達の樣な口も利くが、概して二人の間に交換される會話は、恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》田舎では聞かれた事のない高尚な問題で、人生《ライフ》とか信仰とか創作とかいふ語が多い。信吾は好んで其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》問題を擔《かつ》ぎ出し、對手に解らぬと知り乍ら六ヶ敷い哲學上の議論までする。氣をつけて聞けば、其謂ふ所に、或は一貫した思想も意見も無かつたかも知れぬ。又、其好んで口にする泰西の哲人の名に就いて彼自身の有つてゐる知識も疑問であつたかも知れぬ。それは兎も角、信吾が其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]事を調子よく喋る時は、血の多い人のする樣に、大仰に眉を動したり、手を振つたり、自分の言ふ事に自分で先づ感動した樣子をする。
『僕は不思議ですねえ。恁うして貴女と話してると、何だか自然に眞面目になつて、若々しくなつて、平生考へてる事を皆言つて了ひたくなる。この二三年は何か恁う不安があつて、言はうと思ふこともつい人の前では言へなかつたりする樣になつてゐたんですが……實に不思議です。自分の思想を聞いてくれる人がある、否、それを言ひ得るといふ事が、既に一種の幸福を感じますね。』
と或時信吾は眞面目な口振で言つた。然しそれは、或は次の如く言ふべきであつたかも知れぬ。
『僕は不思議ですねえ。恁うして貴女と話してると、何だか自然に芝居を演《や》りたくなつて來て、つい心にない事まで言つて了ひます。』
 智惠子の方では、信吾の足繁き訪問に就いて、多少村の人達の思惑《おもわく》を心配せぬ譯にいかなかつた。狹い村だけに少しの事も意味あり氣に囃し立てるのが常である。萬一其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]事があつては誠に心外の至りであると智惠子は思つた。それで成るべく寡言《ことばすくな》に、隙のない樣に待遇《あしら》つてゐるが、腑に落ちぬ事があり乍らも信吾の話が珍しい。我知らず熱心になつて、時には自分の考へを言つても見るが、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]時には、信吾は大袈裟に同感して見せる。歸つた後で考へてみると、男には矢張り氣障《きざ》な厭味《いやみ》な事が多い。殊更に自分の歡心を買はうとすることろが見える。『那《あゝ》した性質の人だ!』と智惠子は考へた。
 智惠子を訪ねた日は、大抵その足で信吾は富江を訪ねる。富江は例《いつ》に變らぬ調子で男を迎へる。信吾はニヤニヤ心で笑ひ乍ら川崎の家へ歸る。
 暑氣は日一日と酷《きび》しくなつて來た。殊にも今年は雨が少なくて、田といふ田には水が十分でない。日中は家の中でさへ九十度に上る。
 今朝も朝から雲一つ無く、東向の靜子の室の障子が、カッと眩《まぶ》しい朝日を受けて、晝の暑氣が思ひやられる。靜子は朝餐の後を、母から兄の單衣の縫直しを吩咐《いひつか》つて、一人其室に坐つた。
 ちらと鳥影が其障子に映つた。
『靜さん、其單衣はね……。』と言ひ乍ら信吾が入つて來た。
『兄樣、今日は屹度お客樣よ。』
『何故?』
『何故でも。』と笑顏を作つて、『そうら御覽なさい。』
 その時また鮮かな鳥影が障子を横ざまに飛んだ。
『ハハヽヽ。迷信家だね。事によつたら吉野が今日あたり着くかも知れないがね。』

      二

『あら、四五日中にお立ちになるつて昨日の手紙ぢやなかつたの?』
『然《さ》うさ。だがあの男の豫定位あてにならないものは無いんだ。雷《かみなり》みたいな奴よ、雲次第で何時でも鳴り出す……。』と信吾は其處に腰を下して、
『オイ、此衣服は少し短いんだから、長くして呉れ。』
『然う?』と、靜子は解きかけたネルの單衣に尺《ものさし》を使つて見て、『七寸……六分あるわ。短かゝなくつてよ、幾何《いくら》電信柱さんでも。』
『否《いや》短い。本人の言ふ事に間違ひつこなしだ。そら、其處に縫込んだ揚《あげ》があるぢやないか。それ丈下して呉れ。』
『だつて兄樣、さうすれば九寸位になつてよ。可いわ、そんなら八寸にしときませう。』『吝《けち》だな。も少し負けろ。』
『ぢや八寸一分?』
『もつと負けろ、氣に合はないから着ないと言つたら怎うする?』
『それは御勝手。』
『其※[#「麾」の「毛」
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング