、あれが小川の家ですね。』
と言つて窓から首を出した。線路から一町程離れて、大きい茅葺の家、その周圍に四五軒農家のある――それが川崎の小川家なのだ。
首を出した吉野は、直ぐと振返つて、
『小川の令妹《シスタア》が出てますよ。』
『あら。』と言つて、智惠子も立つたが、怎う思つてか、外から見られぬ樣に、男の後ろに身を隱して、そつと覗いて見た。
靜子は妹共と一緒に田の中の畦道《あぜみち》に立つて、手巾《ハンカチ》を振つてゐる。妹共は何か叫んでるらしいが、無論それは聞えない。智惠子は無性に心が騷いだ。
帽子を振つてゐた吉野が、再び腰を掛けた時は、智惠子は耳の根まで紅くして極り惡る氣に俯向いてゐた。靜子の行動が、偶然か、はた心あつて見送つたものか、はた又吉野と申合せての事か、それは解らないが、何れにしても智惠子の心には、萬一自分が男と一緒に乘つてゐる事を、友に見られはしないかといふ心配が、強く動悸を打つた。吉野はその、極り惡る氣な樣子を見て、『小川の所謂|近代的婦人《モダーンウーマン》も案外|初心《うぶ》だ!』と思つたかも知れない。
その實男も、先刻汽車に乘つた時から、妙に此女と體を密接
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