を南へ渡り切るまでも、靜子は鋼線《はりがね》の欄に靠《もた》れて見送つてゐた。
智惠子は考へ深い眼を足の爪先に落して、歸路を急いだが、其心にあるのは、例の樣に、今日一日を空《むだ》に過したといふ悔ではない。神は我と共にあり! と自ら慰め乍らも、矢張靜子が何がなしに羨まれた。が、宿の前まで來た頃は、自分にも解らぬ一種の希望が胸に湧いてゐた。
で、家に入るや否や、お利代に泣き附いて何か強請《ねだ》つてゐる五歳の新坊を、矢庭に兩手で高く差上げて、
『新坊さん、新坊さん、新坊さん、何《ど》うしたんですよう。』と手荒く擽《くすぐ》つたものだ。
新坊は、常にない智惠子の此擧動に喫驚《びつくり》して、泣くのは礑《はた》と止めて不安相に大きく目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つた。
其六
一
靜子の縁談は、最初、隨分性急に申込んで來て、兎に角も信吾が歸つてからと返事して置いたのが、既に一月、怎うしたのか其儘になつて、何の音沙汰もない、自然、家でも忘られた樣な形勢になつてゐた。
結句それが、靜子にとつては都合がよかつた。母のお柳が、別に何處が惡いでなくて、兎
前へ
次へ
全201ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング