日は土曜日ですから先刻にお歸りになりましたよ。そしてね祖母さん、あの、梅と新坊に單衣を買つて來て下すつて、今縫つて下すつてるの。』
『呀《おや》、然うかい。それぢやお前、何か御返禮に上げなくちや不可《いけ》ないよ。』
『まあ祖母さんは! 何時でも昔の樣な氣で……。』
『ホヽヽ。然《さ》うだつたかい。だがねお利代、お前よく氣を附けてね、先生を大事にして上げなけれや不可《いけ》ないよ。今度の先生の樣に良い人はお前、何處へ行つたつて有るものぢやないよ。』と子供にでも訓《をし》へる樣に言ふ。
智惠子はそれを聞くと、又しても眼の底に涙の鍾《あつま》るを覺えた。
『ア痛、ア痛、寢返りの時に限つてお前は邪慳《ぢやけん》だよ。』と、今度はお利代を叱つてゐる。智惠子は氣が附いた樣に、また針を動かし出した。
五分許り經つてお利代が再び入つて來た時は、何を泣いてか其頬に新しい涙の痕が光つてゐた。
『お氣分が宜い樣ね?』
『は。もう夜が明けたかなんて恍《とぼ》けて……。』と少し笑つて、『皆先生のお蔭で御座います。』
『まあ小母《をば》さんは!』と同情深い眼を上げて、『小母《をば》さんは何だわね、私を家の人
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