さん!』と、出した其手で矢庭に疊に突いたお利代の手を握つて、『神よ!』と心に叫んだ。『願はくば御惠を垂れ給へ!』と瞑ぢた其眼の長い睫毛を傳つて、美しい露が溢れた。

      三

『あゝ。』といふ力無い欠伸が次の間から聞えて、『お利代、お利代。』と、嗄れた聲で呼び、老女が目を覺まして、寢返りでも爲たいのであらう。
 智惠子はハッとした樣に手を引いた。お利代は涙に濡れた顏を擧げて、『は、只今。』と答へたが、其顏に言ふ許りなき感謝の意を湛へて、『一寸』と智惠子に會釋して立つ。急がしく涙を拭つて、隔ての障子を開けた。
 其後姿を見送つた目を其處に置いて行つた手紙の上に[#「上に」は底本では「上を」]移して、智惠子は眤と呼吸を凝した。神から授つた義務を果した樣な滿足の情が胸に溢れた。そして、『私に出來るだけは是非して上げねばならぬ!』と自分に命ずる樣に心に誓つた。
『あゝゝ、よく寢た。もう夜が明けたのかい、お利代?』と老女《としより》の聲が聞える。
『ホホヽヽ、今午後の三時頃ですよ祖母さん。お氣分は?』
『些《ちつ》とも平生《ふだん》と變らないよ。ナニか、先生はもうお出掛けか?』
『否、今
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