信吾がそれを斷つて歩き出すと、
『信吾さん、それぢや屹度押しかけて行きますよ。』
『あゝ被來《いらつしや》い、歌留多《かるた》なら何時でもお相手になつて上げるから。』
『此方から教へに行くんですよ。』と笑ひ乍ら、富江は薄暗い家の中へ入つて行つた。
 と、信吾は急に取濟した顏をして大胯に歩き出したが、加藤醫院の手前まで來ると、フト物忘れでもした樣に足を緩《ゆる》めた。

      四

 今しもその、五六軒彼方の加藤醫院へ、晩餐の準備の豆腐でも買つて來たらしい白い前掛の下女が急ぎ足に入つて行つた。
『何有《なあに》、たかが知れた田舍女ぢやないか!』と、信吾は足の緩んだも氣が附かずに、我と我が撓《ひる》む心を嘲つた。人妻となつた清子に顏を合せるのは、流石に快《こゝろよ》くない。快くないと思ふ心の起るのを、信吾は自分で不愉快なのだ。
 寄らなければ寄らなくても濟む、別に用があるのでもないのだ。が、狹い村内の交際は、それでは濟まない。殊には、さまでもない病氣に親切にも毎日※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]診に來てくれるから是非顏出しして來いと母にも言はれた。加之《のみならず》、今
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