》つてゐた。信吾は何がなしにわが家ながら閾《しきい》が高い樣な氣がして、成るべく音を立てぬ樣にして入つた。
八
家に入つた信吾の心は、妙に臆《ひる》んでゐた。彼は富江と別れて十幾町の歸路を、言ふべからざる不愉快な思ひに追はれて來た。烈しい××××××××××××しい疲勞が、今日一日の苛立《いらだ》つた彼の心を彌更に苛立たせた。
『淺猿しい、淺猿しい!』と、彼は幾度か口に出して自分を罵つた。彼はもう此儘人知れず何處かへ行つて了ひたい樣な氣がした。飽くを知らざる富江の餓ゑた顏を思出すと、言ふべからざる厭惡の念が起る。そして又、段々家へ近附くにつれて、戀仇の吉野に對する自暴腹《やけつぱら》な怒りが強く發した。其怒りが又彼を嘲る。信吾は人に顏を見られたくなかつた。
で、成るべく音立てぬ樣に縁側傳ひに自分の室に行く。家中もう寢て了つたと見えて、森としてゐた。と、離室に續く縁側に輕い足音がして、靜子が出て來た。四邊《あたり》は薄暗い。
『あら兄樣、遲かつたわねえ。何處に居たんですか、今迄?』
『何處でも可いぢやないか!』と、聲は低く、然し慳貪《けんどん》だ。
『まア!』
信吾
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