。『あの野郎奴、(有難う御座います。)とはよくも言ひやがたつた!』
 信吾の憤りは再發した。(有難う御座います。)その言葉を幾度か繰返して思ひ出して、遂に、頭髮を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]りたい程腹立たしく感じた。そして、彼の癖の、ステッキを強く揮つて、自暴《やけ》にヒュゥと空氣を切つた。
『信吾さん!』と女の聲。彼は驚いた樣に顏を上げると、富江が白地の浴衣に月影を滴らせて、近づいて來る。草履を穿いてるのか足音がしない。
『信吾さん!』と富江は又呼んだ。
『あ、神山さんでしたか!』と一寸足を留めて、直ぐまた歩き出さうとする。
『まア、何處へ被行《いらつしや》るの?』
 答もせずに信吾は五六歩歩いて、そしてグルリと自暴《やけ》に體を向直した。
『ハハヽヽ。何處へ行つたんです貴女こそ?』
『生徒の家へ招待《よば》れて、門前寺の……一人で散歩するなんて氣が利かないぢやありませんか、貴方は!』
『貴女だつて一人ぢやないか!』
『ホヽヽ、どうして智惠子|樣《さん》を誘つて上げなかつたの?』
『莫迦《ばか》な!』
『あら、月夜の散歩にはハイカラさんの手でも曳かなくちや詰らな
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