何やら鋭く笑ひ捨てゝ、縁側傳ひに足音が此方へ來る。
信吾も晝寢から覺めた許り、不快な夢でも見た後の樣に、妙に燻んだ顏をして胡座《あぐら》を掻いてゐた。富江の聲や足音は先刻から耳についてゐる。が、心は智惠子の事を考へてゐた。
或は一人、或は吉野と二人、信吾は此月に入つてからも三四度智惠子を訪ねた。二人の話はもう以前の樣に逸《はず》まなくなつた。吉野が來てからの智惠子は、何處となく變つた點が見える。さればと言つて別に自分を厭ふ樣な樣子も見せぬ。
かの新坊の溺死を救けた以來、吉野が一人で、或は昌作を伴れて、智惠子を訪ねることも、信吾は直ぐに感附いたゐた。二人の友人の間には何日しか大きい溝が出來た。信吾は苛々《いら/\》して不快な感情に支配されてゐる。
いつそ結婚を申込んでやらうか、と考へることがないでもない。が、信吾は左程までに深く智惠子を思つてるのでもないのだ。高が田舍の女教員だ! といふ輕侮が常に頭にある。確乎《しつかり》した女だとも思ふ。確固《しつかり》した、そして美しい女だけに、信吾は智惠子をして他の男――吉野を思はしめたくない。何といふ理由なしに。自分には智惠子に思はれる權
前へ
次へ
全201ページ中153ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング